講演会「311後をしなやかにいきる~放射能を除去する暮らし方、生き
日時2011年 7月 13日 (水曜日) プランターコテッジ
説明10:00~12:00 石丸偉丈(エネシフくにたち)
311以後、私達の世界は一変しました。
目には見えない放射能によって汚された世界で私達は生活し、子育てをしなくてはならなくなりました。
少しでも安全に、希望を持って生きるにはどうすればよいのか。
そのヒントをそれぞれが見いだす一助になればと、冨田貴史さんにお話 を伺う会を企画いたしました。
冨田さんは、マヤ暦、日本古代史、食、核、平和、自然エネルギーなど さまざまな分野に明るく、その幅広い視点から、「今」についてお話いただきます。
また鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地 球の回転」の制作にも関わってこられました。
原発事故から100日が過ぎたいま、冨田貴史さんのお話を伺いな がら、少し立ち止まり、ゆっくり考える時間をもちませんか?
以前からnaocafeでお話の会をやっていらっしゃる京都在住の富田貴史さんのお話聞きたいと思っていたら、プランターコテッジで開催されることになり、聞きに行きました。
話を聞いてもなかなか身にならない私です。今回も出来る限りでメモとりました。あやふやなところもあり聞き違いメモ間違いもあると思いますが自分も何度も読み直したいとメモしたこと箇条書きにしてます。
原発がないと電力が足りないと思うのは勉強不足。
ウランはオーストラリアのアボリジニの居住地にある。アボリジニにとっては聖なる石。運び出して欲しくないと守ろうとする、それでも運び出された物を日本は買っている。アボリジニはウランがどれほど危険な物か情報は知らない。
ウラン鉱山での被爆はウラン被爆全体の4分の3を占める。
一基の原発で年間15トンのウラン燃料が必要。日本では45基稼働すると年間45×15=1千トン
そのウランをを濃縮加工する際にウラン残土が山積みになる。1千トンのウランのために1億トンのウラン残土が出る。その残土で被爆する。
私達は原発を容認している。放射能のことは気にするが原発は容認するのではいけない、おかしいのではないか。
現在目の前に放射能がばら撒かれている、被害者として声を上げなければ。
3,11以降しなやかな生き方というのは現実を認めるということ。魔法が解ける、夢から覚める。
ネバタ、カザフスタン、ビキニ、インドネシア平和のためだから協力してくださいと言って核実験をおこなっている。そのために白血病やがん、流産が増加している。
原発を続けるのは核開発のために技術的ポテンシャルを持ち続ける、経済的ポテンシャルを持ち続けるためである。
何を想い、何を行動するか。
すじを通すことのできるポジションに日本人はいる。リコールも出来る。機能していないが民主主義である。
保障を求めるのは当然。
ビキニ環礁で被爆した第5福竜丸。日本の船がそこにあったから情報が明るみに出た。日本は保障をアメリカに求めた。アメリカは保障しないかわりに核開発を許可した。
原発は電気のためではなく核開発のためにある。
原子炉、高速増殖炉が2週間動けばプルトニウムが出来る。いざと言うときに使うために。
核がいらないとなれば原発もなくなるはず。最初に日本で軍事利用しないという条件で原発に予算がついたのは中曽根内閣のとき。
核開発と原子力発電を日本では別物のように言われているが核発電なのだ。
1970年頃は原発反対と言うだけでパトカーが家に来ていた。何度もパトカーが家に来る。近所の人からどういうことと疎外される様になる。嫌がらせの手紙が来る。
ウラン鉱山の被爆している人の声を届けられる位置にわれわれは居る。原発のタブーは解消された。
どこでも原発の話がされるようになった。
小出さんが話をするよりあなた方が話した方が子供に伝わる。
今の日本は競争社会だ。競争させている人はどちらが負けても勝っても、儲かる。
私はうまくしゃべれないと劣等感を植え付ける。
だまっていることは獲得競争に自分もかたんしているということ。みなさんが話すことが真実。
話をしたときにあなたは関心があって、あなたはない人とわけないこと。
語れない人たちがいる。沖縄での語れない人たちが沢山いる。
メディアは外に頼らない。一人一人がすりこまれているという現実を知る。
自分がどう感じているか、悲しんでいるか、怒っているか自分を知る。怒りを外にぶつけるのではない。
怒りをクリーニングする。クリーニングしてから語り始めよう。
原発は隠し事を作らないとやっていけないもの。隠さなければテロの標的になる。
日本でもパスポートのチップを入れるなど人がどういう思想をもっているかなど管理されている。
9.11以降アメリカでは図書館で何を読んでいるまで管理されている。
自然エネルギーは地域で実現する。自分で理解し、自分できめる。
孫さんが太陽光パネルの話をしているが60年後誰が管理するのか?それは地域の人なのだ。
自然エネルギーはいつからはじめるのか?
原発は壊れてからとめるのか、壊れる前に止めるのか。始まったのです、終わったのではないのです。
今まで通りに生きたい、消費生活を続けたい。それよりこっちが楽しいよを発信する。
国立では原発の話をしようと集まっているらしい、なにか上映会をやろうとしているらしいなど
人をかえようとするとくたくたに疲れる。全部分かって欲しいと思うと無理がある。
その人が学びたい、混乱しているとなったらいっしょに整理しよう、いっしょに本を探そうと促す。相手を代えるのではなく促す。
人は口に出して話すことで私はこう思ってたんだと気づく。
自分の話は聞いてもらえないと思いがちだが、まず相手の話を聞くことでこちらの話も聞いてくれる。
事故などがおきたとき私にパニックがおきているということを認めないという現象がおきる。パニックが起きていると気づいたら変わらないといけないから。
自分の中の思いを聞く。私は私として生きたい。自分の思っていることを表現する。結局は自分がどう生きたいのか。
友人と語る。大事な友人との関係を持ち直す。
あの人の無関心を変えたいのではない、自分の思っていることを伝える。ビジョンを持つ。
いい答え出そうと思うとアイディアは狭まる。質が高いことは求めない。それでも自分の中にはジャッジメンがいてこれは話していいことか悪いことかは判断すること。
原発を止めたらエネルギーの代替案はあるのかと聞かれる。
経済が拡大成長するためにエネルギーが必要なんでしょう、代替案はない。省エネする。電気をこれ以上使うことは無いと答える。
スウェーデンでは暖房を電気に頼っていない。太陽熱を使う。
地元の大工が地元の森の木を使って家を建てる。地域に適した太陽の光の入りやすい家を建てる。森の木は30パーセントは材として使われるが後は捨てている。それを燃やし熱にする。
ペレットストーブ。地域暖房にする。
知らないいけないことは基本的こと、電気はどこに使われているか。
行政に自然エネルギーのことをすべてまかせるのはよくない。住民の物は住民がやる。これの方が行政も企業も手助けしやすい。
ゴミはどれだけ出ているのか、電気はどれだけ使われているのか自分で調べる。
都会に居てもできること正直な農家さんとつきあうこと。
5,10年後どういう生き方をするかに繋がる。
放射能の危険を感じ食べる、食べないも1つの生き方。
真剣に農業をやっている人こそ悩んでいる。
食べないということで今までと生き方をかえているようであるがそうではなく、今の状況を容認していることになる。どういう農家さんに寄り添うか、つきあうか。自分のみが安全かどうかだけで判断しない。
管さんはエネルギーについて白紙に戻し1から考えようと言っている。それには賛成。
玄海原発のように急いでやらないといけないこととゆっくりやったほうがいいことがある。
放射能から守るためには免疫力をあげる。
白砂糖は陰陽五経の考えからだと極陰性。控える。
梅干し、味噌、岩塩、どくだみ茶など3,11以前からとるようにしていた。日本には原発がある、あるだけで被爆しているから。
庭にはえた野草で野草茶を作る。その土地にあった植物が生えているはずだから。身体にも合う。余分な物を外に出してくれる。
冷たい物ばかりとらず、塩湯を飲む。ミネラルをとる。砂糖はミネラルを外に出してしまう。
スウェーデンのエネルギー政策は小さい国だから出来たのでしょうという方がいる。日本は5倍の人口である。もっと人間力があるはずだ。
スウェーデンの国民は何らかの環境団体に属している人が多い。
ドイツではCOOP.沢山の組合がある。生産者の消費者の。
チェルノブイリに以前から三河の八丁味噌と梅干と、どくだみを送っている、うめどみの会。
酵素を作って飲む。
植物の生命酵素なくなる6時間以内にザラメトウでつける。1週間でぶくぶく発酵してくる。キウイで作ると失敗ない。
国立で出来ること。
酵素作り、梅干作り、味噌作りの会をする。集まって、作って手を動かしながら、原発のことなど話をしよう。
地域暦、国立ごよみを作る。地域のいいところを知る。地域の中の生かされてないエネルギーを知る。
みんなが電気を作って売り買いする。そのお金は地域に残る。エネルギーを自給することでお金の自給に繋がる。